悲華経
提供: 新纂浄土宗大辞典
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ひけきょう/悲華経
一〇巻。悲蓮華経、大悲分陀利経、悲分陀利経ともいう。北涼の曇無讖訳と訳者不詳の『大乗悲分陀利経』八巻が現存する。サンスクリット本の題名はⓈKaruṇāpuṇḍarīkaといい、チベット語訳名はⓉ’Phags pa snying rje pad ma dkar po zhes bya ba theg pa chen po’i mdoという。曇無讖訳『悲華経』は玄始八年(四一九)に訳出され、訳者不詳の『大乗悲分陀利経』は後秦代(三八四—四一七)の訳出であるから、原本は遅くとも四世紀までには成立していたと考えられる。本経の趣旨は、阿弥陀仏などが浄土成仏を願った仏であるのに対して、あえて煩悩多き衆生の救済を願って穢土成仏した釈尊の大悲を讃歎することにある。そして浄土成仏者の慈悲は余華に喩えられるのに対して、釈尊の慈悲は白蓮華に喩えられる。本経の中核は本生説話の形式を取っており、阿弥陀仏の前生を無諍念王という転輪聖王とし、その王子たちを観音、勢至、文殊師利、阿閦などの仏・菩薩の前生とする。そして、それぞれの誓願・授記を説いて『無量寿経』に説く阿弥陀仏とは異なる本生説話を説く。さらに無諍念王のバラモン司祭官である宝海梵志を釈尊の前生とし、その子に師仏である宝蔵如来を置く。如来のもとで無諍念王と王子たちは浄土成仏の誓願を立てるが、宝海梵志は浄土ではなく自らはあえて穢土成仏の五百誓願を立て、その大悲を強調する。本経は、諸仏崇拝の盛行な時代の反動として釈迦信仰の復興運動とも言うべき経典として成立したと見られる。さらに阿弥陀仏の誓願については、そのほとんどを『無量寿経』に依っているが、一部の改変も見られ、阿弥陀仏の四十八願の発展形態として注目される。日本では、本経における釈尊の五百誓願を踏襲し成立した高山寺所蔵の『釈迦如来五百大願経』が現存し、またそれとは内容が異なる名古屋七寺所蔵の『釈迦如来五百本願功徳法門経』がある。また聖覚の父・澄憲に『無量寿経与悲華経阿弥陀四十八願抄』一巻(『長西録』に記載)があるが伝わっていない。また鎌倉期の貞慶や叡尊、明恵の釈迦信仰は本経の釈迦中心思想の影響も大きい。法然は『無量寿経釈』、親鸞は『教行信証』『三経往生文類』で本経を引用する。
【所収】正蔵三
【参考】宇治谷裕顕『悲華経の研究』(文光堂、一九六九)
【執筆者:北條竜士】