地上発心
提供: 新纂浄土宗大辞典
じじょうほっしん/地上発心
法蔵比丘の四十八願が、菩薩の階位のなかでいずれの位においておこされた願であるかという問題について、その願が地上(初地以上)において建てられたとする説。地前発心の対。聖聡『徹選択本末口伝鈔』上(浄全七・一三三上~四上)、妙瑞『徹選択集私志記』上(浄全八・一五一上~下)などにみられる説である。聖光は『徹選択集』上(聖典三・二六九/浄全七・八八上~下)の中で、真位(初地以上、覚未満等)・似位(十回向以下)の発願のうちでは真位の発願にあたるとする。これらの中では曇鸞『往生論註』上の「はじめ法蔵菩薩、世自在王仏の所において無生法忍を悟りたまえり。その時の位を聖種性と名づく。この性の中において四十八の大願をおこして、此の土を修起したまい、即ち安楽浄土という」(浄全一・二二三下/正蔵四〇・八二八下)との文や、懐感『群疑論』三の文(浄全六・三八上/正蔵四七・四五下)が指摘されている。妙瑞はこの他に、憬興が地上発心説をたて、浄影寺慧遠、義寂、玄一などが地前・地上の二重発心説をたてていることを示している。道光は『無量寿経鈔』二に二重発心説を紹介する(浄全一四・六二上~三下)。二重発心説の場合、『無量寿経』上の「仏、阿難に告げたまわく。法蔵比丘、この頌を説きおわるに」(聖典一・二二三/浄全一・五)から「かくのごときの大願を具足し修満して、誠諦虚しからず。世間を超出して、深く寂滅を楽えり」(聖典一・二三四/浄全一・一一)までが地上発心にあたる。
【執筆者:長尾隆寛】