「宮本文哲」の版間の差分
提供: 新纂浄土宗大辞典
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みやもとぶんてつ/宮本文哲
明治二一年(一八八八)九月三日—昭和五七年(一九八二)五月二日。才蓮社高誉勇阿無畏南堂。大本山善導寺六二世。現在の大分県臼杵市に父加納経男、母ミツの四男として出生。明治三一年(一八九八)現在の大分県津久見市の長泉寺宮本玄哲について得度、宮本に改姓。大正四年(一九一五)七月ハワイ開教使としてハレイワ浄土院に赴任。婦人会、明照仏教育年会、日曜学校を組織。昭和二年(一九二七)八月盂蘭盆会につとめた盆踊り、流れ灌頂が今日のハレイワ精霊流しにつながっている。同二三年九代ハワイ開教区総長となり、同年増上寺椎尾弁匡を迎えてハワイ開教五六周年慶讃法要、五重相伝奉修。同三四年浄土門主岸信宏を迎えて法然上人七五〇年遠忌法要、五重相伝奉修。同三六年九月開教区総長を辞任し帰国。翌三七年大本山善導寺六二世法主就任。同四四年大僧正叙任。
【参考】『浄土宗海外開教のあゆみ』(浄土宗開教振興協会、一九九〇)
【執筆者:山本秀信】