「法然寺」の版間の差分
提供: 新纂浄土宗大辞典
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ほうねんじ/法然寺
一
茨城県常陸太田市東三町。円覚山称名院。茨城教区№一〇一。正慶五年(一三三六)蓮勝永慶によって開山された。その後、佐竹・小田氏の戦乱によりしばらく廃絶していたが、慶長元年(一五九六)瓜連常福寺一二世香(光)誉朱梅によって中興された。江戸時代には常福寺の末寺となっていた。
【資料】『浄土宗寺院由緒書』中(『増上寺史料集』六)
【参考】茨城県史編集委員会監修『茨城県史』中世編(茨城県、一九八六)
【執筆者:𠮷水成正】
二
京都市右京区嵯峨天龍寺立石町。極楽殿熊谷山。京都教区№四八七。法然上人二十五霊場第一九番。熊谷直実蓮生が法然に授かった直作とされる御影を本尊とする霊跡。元久二年(一二〇五)実信房蓮生(宇都宮弥三郎頼綱)の開山で、熊谷蓮生が御影を本寺に付与し、実信房が本尊として安置して法然寺と号した(『浄土宗寺院由緒書』上)。現在、同寺では『山州名跡志』などが記す熊谷蓮生開基説をとる。正安年間(一二九九—一三〇二)後伏見天皇より「極楽殿」の勅額を賜ったと伝える。もと錦小路東洞院西入ルにあったが、天正一九年(一五九一)寺町綾小路下ルに移り、昭和三九年(一九六四)現在地に再移転した。
【資料】『蓮門精舎旧詞』二(続浄一八)、『浄土宗寺院由緒書』上(『増上寺史料集』五)、『山州名跡志』二〇(『新修京都叢書』一六、臨川書店、一九六九)
【参考】水野恭一郎・中井真孝編『京都浄土宗寺院文書』(同朋舎出版、一九八〇)【図版】巻末付録
【参照項目】➡法然上人二十五霊場
【執筆者:山本博子】
三
奈良県橿原市南浦町。少林院。奈良教区№九一。法然上人二十五霊場第一〇番。元久二年(一二〇五)三月法然が高野山参詣の帰路、聖徳太子生誕地の橘寺へ巡拝のとき立ち寄り、諸人を教化したと伝える遺跡。開山知恩院二六世保誉源派。明応八年(一四九九)一〇月高野山新別所の住僧空円が、鳥(止利)仏師作で重源の念持仏であった新別所の一宇の本尊阿弥陀如来像を、霊告に従い当地に遷しにきたとき、源派も法然の霊夢を蒙り当地を尋ねた。二人は夢告による奇縁を語り合い、源派は当地に閑居して念仏を弘め、寺号を現在のように改めたという。
【資料】『蓮門精舎旧詞』八(続浄一八)、『浄土宗寺院由緒書』上(『増上寺史料集』五)、霊沢『円光大師御遺跡廿五箇所案内記』、名村愚仙『円光大師御遺跡四十八所口称一行巡拝記』【図版】巻末付録
【参照項目】➡法然上人二十五霊場
【執筆者:山本博子】
四
和歌山県海南市沖野々。月光山勢至院。和歌山教区№六四。文治三年(一一八七)溝口村の山本義恒判官と嫡子義明が結んでいた念仏道場の庵に、義恒親子や中村庄司らが熊野参詣の途次にあった法然を招き開山としたのに始まると伝えられている。延宝四年(一六七六)知恩院三八世万無が法然の旧跡と吟味断定して当寺住職になり、その後も知恩院より酉全、霊覇が入山。徳川家の崇敬あつく寺格一万石と称され、末寺二八箇寺を有した。なお、『紀伊続風土記』三六に創建の異説がある。
【資料】『蓮門精舎旧詞』三四(続浄一九)、『紀伊国名所図会』六
【執筆者:横田善教】
五
広島県尾道市瀬戸田町瀬戸田(生口島)。光明山遍照院。広島教区№三六。伝開基法然。法然が讃岐国流罪のとき、後白河法皇の息女如念に招かれ同島御寺光明坊に滞留したといい、その際の開基と伝える。のち応永年間(一三九四—一四二八)愚中により崇凉院と改められ禅宗となるが、慶長一一年(一六〇六)美作国涅槃寺の一道が来島、再興した。境内大師堂に祐天が再開眼した伝熊谷蓮生作法然上人坐像を祀る。
【資料】『蓮門精舎旧詞』三三、『芸藩通志』九〇
【参考】祐天寺研究室・伊藤丈編『祐天寺史資料集』四下(大東出版社、二〇〇七)
【執筆者:別府一道】
六
香川県高松市仏生山町。仏生山来迎院。南海教区№一一。法然上人二十五霊場第二番。法然が流罪のとき滞在した讃岐国那珂郡子松庄の生福寺の旧跡を移して、高松藩初代藩主松平頼重が開基した藩主家の菩提寺。寛文八年(一六六八)頼重は旧跡草庵に残っていた法然安置の本尊、自作の仏像、真影などを百相村に移し、仏閣僧房を造営し、寺領を寄付し、伝通院九世真誉相閑を中興開山として、来迎堂で不断念仏をはじめた。同一〇年に「仏生山法然寺条目」を定め、延宝元年(一六七三)寺領三〇〇石安堵の朱印状、同三年常紫衣の綸旨が与えられ、同六年から台命住職となる。十王図、観世音功徳図屛風、源氏物語図屛風、後深草天皇宸翰消息は国重要文化財。
【資料】『仏生山法然寺条目』『仏生山法然寺添条目』(『香川叢書』二、一九四一)、梶原藍水編『古今讃岐名勝図会』(歴史図書社、一九七六)
【参考】『仏生山法然寺の名宝展』(高松市歴史資料館、一九九二)【図版】巻末付録
【参照項目】➡法然上人二十五霊場
【執筆者:山本博子】