「藤井実応」の版間の差分
提供: 新纂浄土宗大辞典
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ふじいじつおう/藤井実応
明治三一年(一八九八)一一月二三日—平成四年(一九九二)九月三日。光蓮社明誉生阿法仙。知恩院八五世、増上寺八四世。浄土門主。宗門功労者。寺に執着せず、自由な布教活動を展開、ハガキ伝道の草分けであるとともに、『拝む生活』(共生会、一九四三)、『法然上人と一枚起請文』(法然上人七五〇年御忌準備局、一九五七)、『善導大師—生涯と金言』(浄土宗宗務庁、一九七七)、『病む人へのおとずれ』(浄土宗、一九九三)などの著述もあり、多くの門弟を養成した。岐阜県養老郡笠郷村船附(現・養老町船附)、父宗市、母婦佐の長男として出生。幼名を重吉と称した。四二歳で逝った母の死を契機に大正九年(一九二〇)行基寺にて得度し実応と改名。同一四年宗教大学卒業。その間第一回共生結衆に参加、以後椎尾弁匡に師事、大正一三年(一九二四)永平寺にて参禅するなど宗教体験を積んだ。卒業とともに内地留学、長野教区諏訪組紫雲寺住職、昭和五年(一九三〇)宗務所勤務、同八年浄土宗布教講習所主事、同一八年住友豊橋青年学校(愛知県)校長、同二七年東海学園高校講師、同三五年岐阜教区高須組円心寺、同四五年三河教区北組大樹寺を歴住し、同五三年増上寺八四世、同五七年知恩院八五世浄土門主。
【参考】藤井実応著/藤井正雄編『一筋の道を求めて—祖師との出会い、父と子の人間像』(文化書院、一九九九)
【執筆者:藤井正雄】