「分段生死」の版間の差分
提供: 新纂浄土宗大辞典
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2018年3月30日 (金) 06:32時点における最新版
ぶんだんしょうじ/分段生死
凡夫の生死(輪廻)のありようを指す語。その主体はアビダルマでは実有の五蘊(『俱舎論』)、唯識瑜伽行派では阿頼耶識(『唯識三十頌』)、中観派では仮有の五蘊に仮設された人(仮名人)とされる(『中論』)。阿羅漢の灰身滅智や三無量不思議劫の修行による声聞授記など(『法華経』)に対する解明として、如来蔵系では『勝鬘経』に二種の生死が説かれる。すなわち、分段生死と変易生死である。前者の「分段」とは限界・限定・斉限の意味で、様々な条件(業・煩悩)に限定された迷いの生死を指す。つまり六道を輪廻する凡夫の生死を示す。変易生死は、有漏の五蘊を捨てて、意成身を生死主体とする三種類の聖者(阿羅漢・辟支仏・大力菩薩)の不可思議な生死を示す。『勝鬘経』以後は『楞伽経』『宝性論』などの唯識瑜伽行派系の大乗典籍に継承される。『成唯識論』八にその代表的解説が載せられる。すなわち以下の通りである。「生死に二有り。一には分段生死。謂く諸の有漏の善と不善との業が、煩悩障の縁の助くる勢力に由て、感ずる所の三界の麤なる異熟果なり。身と命とに短と長とあり。因と縁との力に随て定れる斉限有り。故に分段と名く。二には不思議変易生死…」(正蔵三一・四五上)とある。『無量寿経』第十五願「眷属長寿の願」には、寿命の修短自在として言及が見られる。
【参考】金治勇「勝鬘経義疏における生死の問題」(印仏研究一六—一、一九六七)、佐伯定胤『新導成唯識論』(法隆寺、一九七五)、高崎直道『宝性論』(『インド古典叢書』講談社、一九八九)、柏木弘雄『勝鬘夫人のさとり—〈勝鬘経〉を読む—』(春秋社、一九九七)
【参照項目】➡変易生死
【執筆者:中御門敬教】