変易生死
提供: 新纂浄土宗大辞典
へんにゃくしょうじ/変易生死
二種生死として説かれる分段生死と変易生死の一つ。「へんやくしょうじ」とも読む。『勝鬘経』に「二種の死有り。何等をか二と為す。謂く分段死と不思議変易死となり。分段死とは謂く虚偽衆生、不思議変易死とは謂く阿羅漢、辟支仏、大力菩薩の意生身、乃至、無上菩提を究竟するなり」(正蔵一二・二一九下)とあり、分段生死が肉体の大小や寿命の長短など一定の際限がある凡夫等の生死のことで、三界内における果報の身とされるのに対して、変易生死とは悲願の力によって肉体や寿命を際限なく自在に変化改易できる菩薩等の生死のことで、三界外における果報の身とされる。吉蔵は『観経義疏』に西方往生は分段・変易のいずれであるかを問い(浄全五・三二八下/正蔵三七・二三五中)、両方の立場の説を紹介したうえで、吉蔵自身は分段生死の立場をとる。迦才『浄土論』にも「西方は是れ分段生死なり。云何が、変易を受くる菩薩をして却って分段を受けしめんや」(浄全六・六三五下/正蔵四七・八七中)といい、西方往生を分段死であると主張する。善導『観経疏』には「浄土の中の一切の聖人は、皆無漏を以て体とし、大悲を用とす。畢竟常住にして分段の生滅を離れたり」(聖典二・二七九/浄全二・五二上)とあり、西方浄土は無漏常住であって分段生死を離れた処であるとする。
【参考】工藤量導「迦才『浄土論』における分段生死と変易生死」(『仏教文化学会研究紀要』一九、二〇一〇)
【参照項目】➡分段生死
【執筆者:工藤量導】