「忍海」の版間の差分
提供: 新纂浄土宗大辞典
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2018年3月30日 (金) 06:31時点における最新版
にんかい/忍海
元禄九年(一六九六)—宝暦一一年(一七六一)六月一七日。宝蓮社曇誉、字は海雲。白華、無礙子と号す。増上寺塔頭宝松院九世。和歌・絵画に優れた。江戸の人。長じて絵師についたのち、増上寺の鉄仙について出家。その後敬首の座下に投じ、宗旨の安心、所立法門の伝授を受けた。延享元年(一七四四)関通の開版による『和字選択集』に一六章それぞれの要点を挿絵とした。走誉連察の推挙により増上寺台徳院霊廟別当に任命されると、寛延元年(一七四八)九月一日に登城し徳川家重に謝した。世寿六六歳。
【資料】『略伝集』(浄全一八)、『続日本高僧伝』四(仏全六四)、『三縁山志』(浄全一九)
【参照項目】➡忍海上人伝
【執筆者:石川達也】