「浄土五祖」の版間の差分
提供: 新纂浄土宗大辞典
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じょうどごそ/浄土五祖
法然が『選択集』一の私釈段において、浄土宗の師資相承血脈上の人師として選定した曇鸞・道綽・善導・懐感・少康の五祖の総称。法然はこの五祖について「唐・宋両伝に出づ」(聖典三・一〇四/昭法全三一三)と記しているが、道宣の『続高僧伝』、賛寧の『宋高僧伝』には、法然の指摘するような浄土宗の師資相承血脈譜は記載されていない。むしろ法然がこの両伝のなかから、自らの考えに基づいて浄土の祖師となるべき人師を選び出し、相承説をたてたというべきである。このことは、法然がいうような浄土五祖説が中国には存在しなかったことを意味している。宗暁の『楽邦文類』三に記載する元照の「無量院造弥陀像記」には浄土教弘通の人師として廬山慧遠・善導・懐感・智覚・慈雲の五師をあげ、また同三の「蓮社始祖廬山遠法師伝」および「蓮社継祖五大法師伝」には、始祖として慧遠を出し、継祖として善導・法照・少康・省常・宗賾の五師をあげ、さらに志磐『仏祖統紀』二六の浄土立教志には始祖慧遠・二祖善導・三祖承遠・四祖法照・五祖少康・六祖延寿・七祖省常をあげて「蓮社七祖」と称している。法然は文治六年(一一九〇)二月、東大寺における「浄土三部経」の講説において、「ここに善導和尚の往生浄土宗においては、経論ありと雖も習学する人なく、疏釈ありと雖も讃仰する倫もなし。然れば則ち相承血脈の法有ること無し」(『阿弥陀経釈』昭法全一四五)といっている。その後『逆修説法』一七日の席で、浄土宗にも師資相承血脈の次第があることを指摘し、菩提流支・恵寵・道場・曇鸞・法上・道綽・善導・懐感・少康の九祖を掲げている。この『逆修説法』に見出される浄土宗の次第相承に関する法然の考えには、このときすでに中国浄土教に慧遠流・慈愍流・道綽善導流の三流のあることを意識していたことがうかがわれる。その考えに基づいて『逆修説法』の九祖説の根拠を具体的に『選択集』で『安楽集』と「唐・宋両伝」を示して、それまですでに流布していた蓮社七祖等とは異なる本願称名念仏を軸とした五祖を提示したものといえる。これらの説は、相承なくして一宗を立てているという非難に対して答えるためであって、このような非難を契機として法然は五祖相承説をたてるに至ったものと考えられる。この浄土五祖を重視した法然はそれ以前に『類聚浄土五祖伝』を編集して、それぞれの祖師の伝記を類聚している。さらにこの浄土五祖説をめぐっては、諸法然伝のうち、成立の早い『私日記』には重源の五祖像将来の記述はなく、『四巻伝』二、『弘願本』二には善導和尚真像を将来したとされ、五祖影像将来とするのは『琳阿本』『四十八巻伝』であることから、後に書き改めたものではないかとされている。
【参考】藤堂恭俊「重源の浄土五祖影像将来」(『仏教文化研究』四、一九五四)、香月乗光「法然上人における相承説の問題」(『法然浄土教の思想と歴史』山喜房仏書林、一九七四)
【執筆者:金子寛哉】