「菩提心正因」の版間の差分
提供: 新纂浄土宗大辞典
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2018年3月30日 (金) 06:32時点における最新版
ぼだいしんしょういん/菩提心正因
悟りを求める心が浄土往生の正しい原因となること。浄土教において菩提心を往生のための正因と認める歴史は古く、曇鸞は『往生論註』下に「王舎城所説の無量寿経を案ずるに三輩生の中に行に優劣ありと雖も、皆、無上菩提の心を発さざるということ莫し」(浄全一・二五一下/正蔵四〇・八四二上)といい、道綽も『安楽集』上に「若し発心作仏せんと欲する者は、此の心は広大にして法界に徧周せり。此の心は究竟して等しきこと虚空のごとし。此の心は長遠にして未来際を尽す。此の心を普く備うれば二乗の障を離る。若し能く一たび此の心を発せば無始生死の有倫を傾く…今既に浄土に生ぜんと願ずるが故に先ず須く菩提心を発すべし」(浄全一・六八〇上~下/正蔵四七・七中~下)という。しかし、法然は往生の行業としては雑行として廃捨している。これに対し、明恵は『摧邪輪』三巻を著して痛烈な批判を行った。法然門下に異説があり、証空は行門の菩提心は説かず、観門の菩提心として苦を厭い浄土を欣求する心とし、親鸞は横超の菩提心として願作仏心と理解する。また良忠は菩提心に聖道門の菩提心と浄土門の菩提心があるとし、聖道門の菩提心を此土において発願して行を修すること、浄土門の菩提心を此土において発願して彼土において行を修することと理解する。
【資料】『伝通記』序分義記三、『新扶選択報恩集』上
【参照項目】➡菩提心
【執筆者:石川琢道】