「智慧」の版間の差分
提供: 新纂浄土宗大辞典
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2018年3月30日 (金) 06:29時点における最新版
ちえ/智慧
ものごとを判断し、決定する心の働き。ⓈjñānaやⓈprajñāなどの訳語として用いられるが、一般的に前者を智、後者を慧と訳す。智(jñāna)と慧(prajñā)はほぼ同義であるが、アビダルマなどで厳密に区別される場合は、慧がより一般的な心の働きであり、智は慧に含まれるものである。慧とは『俱舎論』四に「慧は謂はく、法において能く簡択有り」(正蔵二九・一九上)と言われるように、法を弁別し判断する心の働きである。この働きは仏と凡夫を問わず、あらゆる衆生にあるが、凡夫のそれは汚れたもの(有漏)であり、仏のそれは清浄なるもの(無漏)である。仏道修行の目的はこのような有漏の智慧を無漏の智慧へと転換させることである。無漏の智慧は無漏慧や無漏智と呼ばれ、煩悩を断つために働く。智慧の理解は、仏教諸宗によって異なり、アビダルマでは智を有漏と無漏に大別し、これらをさらに一〇に分類する。唯識では無分別智や後得智、あるいは四智を説き、密教では五智を説く。浄土宗においては凡夫であることの自覚をもとに、智慧を極め生死を離れる聖道門を捨て、阿弥陀仏の本願を信じ称名念仏によって極楽往生を目指す浄土門に帰依することが肝要である。
【資料】『俱舎論』智品、『徹選択集』上
【参照項目】➡一切智、三慧、三学、四智、灰身滅智、五智、根本智・後得智、般若
【執筆者:石田一裕】