「引導」の版間の差分
提供: 新纂浄土宗大辞典
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2018年3月30日 (金) 06:19時点における最新版
いんどう/引導
一
引き入れ導くこと。道案内をすること。仏教では特に衆生を仏道に引き入れて、導くことを意味する。『法華経』方便品には「吾れ成仏よりこのかた、種種の因縁、種種の譬喩をもって広く教えを演言し、無数の方便をもって衆生を引導して諸の著を離れしむ」(正蔵九・五下)とあり、仏が衆生を引導して執着から離れさせることを述べている。ここでは方便と引導が関係づけられて説かれているが、方便は衆生を導くための大切な手段であり、仏あるいは菩薩は巧みな方便をもって衆生を仏道に引き入れ導く存在である。例えば『十住毘婆沙論』一五に「或いは女身を現じて諸男子を引導し、また男子身を現じて女人を引導す」(正蔵二六・一〇四下)と述べられるように、仏・菩薩は人々の願いに合わせて、その姿を現じて衆生を引導するのである。また『阿毘達磨法蘊足論』には「八支聖道を名づけて引導となす」(正蔵二六・四六二下)とあり、八正道を引導としている。これは八正道の修行が、煩悩を断ち切る現観に引き導くものだからである。
【資料】『十住毘婆沙論』一五
【参照項目】➡方便
【執筆者:石田一裕】
二
葬儀において導師が新亡に対し法語を与え、行くべき世界を教示すること。この引導が葬儀と関わる例は『増一阿含経』一五(正蔵二・八二三中)に釈尊が義母大愛道の火葬において偈を唱えたことや、『浄飯王般涅槃経』(正蔵一四・七八三上)に釈尊が浄飯王に最後の言葉と、火葬の前に大衆に教を説いたこと、また『六十華厳』(正蔵一〇・八四六下)に普賢菩薩が命終に臨む人を引導して極楽世界に往生させることなどがあげられる。引導が下炬と結びついたのは、真宗の明伝が『百通切紙』三に「黄檗禅師、母を引導してより禅家に引導す。禅家の引導を見て他宗も意を以て引導すと見へたり」(正徳三年〔一七一三〕版、四ウ)と記すように、黄檗希運(—八五〇頃)が母の死にあたり炬(松明)を持って「一子出家すれば九族天に生ず。もし天に生ぜずんば、諸仏の妄言なり」と称え引導し、母が夜魔天宮に上生したという故事に基づいたものである。こうした引導と下炬を結びつけた用例は、禅家の語録などに多数見ることができ、禅宗から各宗へと広がった。浄土宗においても『諸回向宝鑑』に聖冏撰の下炬垂示(引導)が残されている。ただし『啓蒙随録』初篇には「下炬と引導と元より別なり。…吾が宗古来下炬に即して引導する式なるべし」(『明治仏教思想資料集成』二・二二五上)とあるように下炬と引導は本来別のものであり、下炬に即して引導しているとの意識が大事とする。立道『真葛伝語』には「引導の伝」を平生と没後とに分けて相伝するのも、導師自身の信行を策励したうえでの平生の引導を基に、没後の引導があるべきであるとの認識がある。
【参照項目】➡下炬
【執筆者:大澤亮我】