生飯
提供: 新纂浄土宗大辞典
さば/生飯
餓鬼や畜生、無縁仏などのために取り分けておく飯。生飯の読み方は、唐音の「さんぱん」より転じたともいう。二時食作法のときには、食作法の句頭が「等得」と発声し、生飯の作法として一同が食膳の飯を一箸取り分けて片隅に置き、生飯偈を唱える。生飯は、七粒ぐらいの米粒または指先ほどの長さの麺類、指の甲の大きさの餅を箸などで皿などに取り分ける。食後にそれを集めて、所定の場所(生飯台・地面)に生飯を撒いて供養する。施餓鬼会では五如来の祭壇に御膳を供え、施餓鬼壇にもその御膳と同じ飯を盛り、別に浄水と樒(またはミソハギ)を備えて水向けして餓鬼に供養する。盂蘭盆では祖霊に供養する外に、精霊棚の隅などに置いて供養するのも同類の施食である。一般的に生飯は餓鬼・畜生・無縁仏などに施す鎮魂慰霊の飯食とされているが、浄土宗では平等に施す布施としての飲食である。法然は「斎の生飯には菜を具しそうろうべきか。斎の散飯をば屋の上に打ち上げそうろうべきか、土器に取りそうろうべきか。我が引入の皿に取りそうろうべきか。答う。いずれも御心」(『一百四十五箇条問答』聖典四・四六六~七/昭法全六六一)と言及している。また「生飯と施餓鬼とは出家沙門たる者毎日修する事なり」(『盆供施餓鬼問弁』三四ウ)とある。「鯖を読む」は、この生飯を取り分けることから派生した言葉とされる。
【執筆者:西城宗隆】