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正定寺

提供: 新纂浄土宗大辞典

しょうじょうじ/正定寺

茨城県古河市大手町。証誠山宝池院。土井様の寺として親しまれ、別称利勝山ともいう。茨城教区№七八。増上寺三世廓山弟子当誉玄哲の開山。古河城主で江戸幕府宿老の土井利勝が開基となって寛永一〇年(一六三三)に創建されたと伝えるが、実際は子の利隆が玄哲を招いて正保二年(一六四五)に創建。当寺所蔵の梵鐘は利隆が父利勝のために創建時に鋳造したものである。所蔵の絹本着色土井利勝肖像は県重要文化財。


【資料】『浄土宗寺院由緒書』中(『増上寺史料集』六)、『館林善導寺志』(浄全二〇)


【参考】古河市史編さん委員会『古河市史』民俗編(古河市、一九八三)


【執筆者:𠮷水成正】


佐賀市川副町大字南里。医王山不退院。佐賀教区№一八。寺伝によると開山行基。聖武天皇の頃、九州地方に流行した悪疫を、行基巡錫薬師像七体を刻み七ヶ所に安置し祈願して治した。これを聞いた天皇が一寺を建立し勅願所に定めたという。はじめ法相宗に属していたが建長六年(一二五四)、聖光弟子満慧願海が来錫し、浄土宗改宗開山となる。弘安八年(一二八五)、北条時定が寺田を寄進、天文から天正年間(一五三二—一五九二)に堂宇を改修。寛永年間(一六二四—一六四四)に領主鍋島家および徳川家の尊牌を安置、寺領を与えられた。


【資料】『蓮門精舎旧詞』四二(続浄一九)


【執筆者:江島法俊】