憲静
提供: 新纂浄土宗大辞典
けんじょう/憲静
建保三年(一二一五)—永仁三年(一二九五)四月一七日。願行、宗灯和尚、東寺上人。『尊卑分脈』によれば、美濃源氏出身、父は木田太郎重季、祖父は延暦寺三綱の僧で木田上座、寛賢。憲静は、はじめ泉涌寺四世の月翁智鏡に学び、その後高野山で意教阿闍梨頼賢から三宝院流の秘奥を授かる。憲静は、北条時宗の子息、貞時の病気を快復させた結果、時宗より東寺修造の協力を得ることができた。そして、東寺大勧進となり、弘安二年(一二七九)、焼失した五重塔の再建が始まり、永仁元年(一二九三)それを完遂した。後、泉涌寺六世になる。憲静の開創として、『律苑僧宝伝』には鎌倉の安養院、理智光寺とあるが、安養院については、「願行」の号を同じくした長楽寺の隆寛について学んだ念仏者、東山願行房円満の事蹟と混同されている。付法の弟子に道照、覚阿、憲淳、宥祥があり、いずれも鎌倉時代末期に活躍している。
【資料】『律苑僧宝伝』一三、『本朝高僧伝』
【参考】伊藤宏見「願行上人憲静の研究」上・下(『密教文化』一一七・一一九、一九七六・一九七七)、宮崎円遵「中世関東浄土教の一齣—金沢称名寺の浄土教—」(『中世仏教と庶民生活』思文閣出版、一九八七)、橋本初子「願行上人憲静について」(『金沢文庫研究』二七六、一九八六)、百瀬今朝雄「願行房憲静の〈二階堂寺〉」(『立正大学文学部論叢』九〇、一九八九)
【参照項目】➡円満
【執筆者:平間理俊】