覚阿
提供: 新纂浄土宗大辞典
かくあ/覚阿
一三世紀頃、生没年不明。覚阿弥陀仏。法然絵伝類には、嘉禄の法難の際に妙香院良快の了承を得て、信空とともに法然の遺骸を嵯峨二尊院で荼毘に付し、太秦広隆寺の来迎房円空のもとに移し障難を避けた。その後、鎌倉に移り、鎌倉寿福寺の栄西が浄土宗を非難した時には、将軍家の許しを得て念仏をひろめたとある。しかし、聖冏の『糅鈔』によれば、栄西の訴えで覚阿は西心とともに流罪となっている。
【資料】『古徳伝』九(法伝全六四四)、『四十八巻伝』四二(聖典六・六四二)、『糅鈔』(浄全三・九五八下)、『蓮門宗派』(野村恒道・福田行慈編『法然教団系譜選』青史出版、二〇〇四)
【参考】三田全信『成立史的法然上人諸伝の研究』(平楽寺書店、一九七六)
【執筆者:平間理俊】