東京都港区東麻布。東京教区№三二。増上寺山内の元別院の一つで、中世の増上寺では学寮とされている。元禄八年(一六九五)四月一九日徳川秀忠回向の別時念仏会を催し、増上寺三二世了也の弟子心巌が住職につき、香衣こうえ別院となる。宝暦一一年(一七六一)徳川家重の廟の造営にあたり、不断念仏道場のまま境外の赤羽に移転した。昭和二〇年(一九四五)戦災に遭い区画整理のため同二五年現在の地に移る。境内の小堂に「お竹如来たけにょらい像」を祀る。
【資料】『三縁山志』四(浄全一九)
【執筆者:野村恒道】