りょうや/了也
寛永六年(一六二九)—宝永五年(一七〇八)四月三日。念蓮社貞誉自然。増上寺三二世。生国は下総国。氏姓は大八木氏。生実大巌寺一一世、飯沼弘経寺二五世、小石川伝通院一三世を経て、元禄五年(一六九二)二月増上寺三二世に就任。徳川綱吉の母・桂昌院の帰依を得て、美作誕生寺への経済援助、同一〇年円光大師号勅諡に尽力した。同一二年九月麻布一本松に隠退したが、宝永元年(一七〇四)湯島大根畑に移る。翌二年桂昌院葬儀で、遺言により導師を勤めた。
【資料】『三縁山志』(浄全一九)
【参考】『大本山増上寺史』本文編(大本山増上寺、一九九九)
【執筆者:中野真理子】