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弥陀本迹

提供: 新纂浄土宗大辞典

みだほんじゃく/弥陀本迹

十劫の昔に初めて正覚を得たという、『無量寿経』所説の阿弥陀仏迹門と見なし、それ以前、久遠の昔よりすでに本覚阿弥陀仏(本門)がいたのだとする考え。本迹二門は本来、『法華経』を出典として釈迦仏に見出される思想であり、天台宗日蓮宗で重視される。それを阿弥陀仏に応用したもので、新羅の元暁や宋の元照、日本の源信や覚運などの著書に見られる。この二門説に則って本門を重視する立場では、無始無終で遍く法界常住する智慧法身仏性こそが仏の本体なのだから、自己の心中にも阿弥陀仏ましますなどと解釈される。浄土宗では法然が、阿弥陀仏酬因感果(修因感果)、十劫正覚報身であると強調しており、良忠聖冏弥陀本迹説をしりぞけている。ただし法然門下でも、幸西は「本門の弥陀は、無始本覚如来なるが故に、我等所具の仏性と、まったく差意なし。このいわれを聞く一念に事足りぬ」(『四十八巻伝』二九、聖典六・四五三)と一念義を提唱したとされ(疑わしいとの説もある)、証空は本迹の二門共に真実であると解釈している。また親鸞の『浄土和讃』などにもこの説が見える。


【参照項目】➡本門・迹門本門の弥陀・迹門の弥陀酬因感果十劫久遠


【執筆者:齋藤蒙光】