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本門・迹門

提供: 新纂浄土宗大辞典

ほんもん・しゃくもん/本門・迹門

法華経』を前後半に分類する語。本迹二門、本地垂迹ともいわれる。『法華経』の前半一四品が迹門、後半一四品が本門。羅什門下の僧肇そうじょうが選述した『注維摩詰経』第一序註に「本に非ざれば以て跡を垂れることなく、跡に非ざれば以て本を顕すことなし。本跡殊なりと雖も而も不思議一なり」(正蔵三八・三二七中)とあるような本迹説を、天台智顗が『法華経』の解釈として展開させたもの。『法華文句もんぐ』一上には「又一時分ちて二となす。序より安楽行に至る十四品は迹に約して開権顕実し、踊出より経をおわるまでの十四品は本に約して開権顕実す」(正蔵三四・二上)とある。『法華経』の本門では、釈尊久遠実成くおんじつじょうの本仏であることが明かされ、迹門では本仏が衆生を導くためにあとを垂れ、釈尊としてこの世に現れて教えを説くすがたが示される。本迹二門は天台宗日蓮宗において議論され、また浄土宗浄土真宗では阿弥陀仏について本門の弥陀・迹門の弥陀が議論された。


【参照項目】➡本門の弥陀・迹門の弥陀法華経


【執筆者:土屋慈恭】