仏辺・機辺
提供: 新纂浄土宗大辞典
ぶっぺん・きへん/仏辺・機辺
仏辺とは仏(阿弥陀仏)の側のことをいい、機辺とは衆生の側のことをいう。浄土宗学において教義的な説明をする際に用いられる語。聖道門においては「無相=無漏」「有相=有漏」と捉えるが、純粋浄土教においては阿弥陀仏および極楽浄土の有相荘厳は無漏の境界にあるものと捉える。すなわち、有相荘厳は差別相ではあるが、絶対次元にあり穢土の執着を離れた勝義のものである。理と事という語でいうならば、阿弥陀仏および極楽浄土は「単なる事ではなく、理を踏まえた事」ということができる。したがって純粋浄土教における仏辺という語は、単に真如や無分別智を意味するものではなく、清浄世間智・四十八願・救済作用・有相荘厳といった、勝義の有相を含む阿弥陀仏の側の意味で使用されなくてはならない。
【参考】石井教道「大乗仏教の二大思想類型」(日仏年報一九、一九五三)、曽根宣雄「浄土教における仏辺と機辺について」(『仏教文化学会紀要』一二、二〇〇三)
【参照項目】➡有相・無相
【執筆者:曽根宣雄】