中陰
提供: 新纂浄土宗大辞典
ちゅういん/中陰
衆生の生存を生有(母胎などに入る瞬間)、本有(それ以降、死の直前まで)、死有(死の瞬間)、中有(死の直後より生有の直前まで)の四段階(四有)に分けるうちの「中有」の旧訳。ⓈantarābhavaⓉsrid pa bar ma。中陰有ともいう。死有と生有との中間の五蘊(旧訳は「五陰」)の意である。これの存在を認める部派・学派(説一切有部、唯識学派=法相宗など)と、認めない学派(大衆部・化地部・南方上座部・経部・中観派=三論宗など)とがある。『俱舎論』八(正蔵二九・四四上~)によると、中有の存在を認める学派は、①経典に説かれること、②死有と生有とをつなぐ何かが必要であることなどを根拠とし、反対する派は、①物体と鏡に映った像や、②天秤棒の両端の昇降のように、遠く隔たったもの同士に因果関係が成り立つことなどを論拠にする。中有の期間については原始経典(阿含経典)に説明はなく、説一切有部アビダルマ論師の間にも、①短時間、②最長四九日、③七日、④不定などの説がある(『婆沙論』七〇、正蔵二七・三六〇下~一中)。中有は次に生まれるべき本有の姿をとり、天眼をもつものなどによって見られ、素早く妨げなく飛行し、行くべき趣(天・人・畜生など)を転換することがない(『俱舎論』九、正蔵二九・四六上~)。ただし大乗では中陰に、行く先の転換を認める。なお欲界の中有は香を食べるとされ、「食香」とも呼ばれる。中国・日本等では極悪・極善の人には中有がなく、その中間の者には中有があると区別する説があり、源信『往生要集』(浄全一五・四二下)では阿鼻地獄の中有が二千年間存続するとある。良忠『往生要集義記』(浄全一五・一八三下)ではそれを『正法念処経』の異説として認める一方、中有自身がそのように長く感じるだけであるとも解釈する。また良忠『往生要集鈔』では、閻魔大王の裁きを四有のどの段階に配当するかが未解決の問題とされている。法然は、『往生要集釈』冒頭で、『往生要集』(浄全一五・五四下)に基づき、「草菴に目を瞑ぐの間は、蓮台に跏を結ぶの程なり。即ち弥陀仏の後に従い、菩薩衆の中に在りて、一念の頃に西方極楽世界に生ずることを得。故に往生と言うなり」(昭法全一七)として、この世界から没して極楽へ往生するまでの時間はほんの一瞬であると理解している。なお『没後遺誡文』(昭法全七八三~四)では、門弟たちに、自分の滅後、群集せずに念仏のみによって一昼夜あるいは七日間、自らの「新生の蓮台」を丁重に祈るように教えており、中陰の追善を否定していないが、四九日間の不断念仏は疲労のために真実心が欠ける恐れがあるとして禁じている。『四十八巻伝』によれば法然滅後、門弟たちは、世間の風習に従い、念仏以外の諸行を加えて中陰の勤めを行った。
【参考】山口益・舟橋一哉『俱舎論の原典解明 世間品』(法蔵館、一九五五)、本庄良文「『往生要集義記』第一—訓み下しと現代語訳(八)—大焦熱地獄」(『浄土宗学研究』三一、二〇〇四)
【参照項目】➡中陰回向
【執筆者:本庄良文】