三懺悔
提供: 新纂浄土宗大辞典
さんさんげ/三懺悔
善導『往生礼讃』に説かれる①要懺悔・②略懺悔・③広懺悔の三つの懺悔のこと。五悔(懺悔・勧請・随喜・回向・発願)とも関連が深い。①要懺悔は日没礼讃の中にある「至心に懺悔す。十方の仏に南無し懺悔す」(浄全四・三五九下/正蔵四七・四四〇中)以下に五悔のうち懺悔・回向・発願が説かれ、十方諸仏に懺悔することで滅罪を願い、回向によって自他の往生を願い、発願によって弥陀三尊や十方諸仏を見仏し、仏の本願力に乗じて西方浄土に往生するという。②略懺悔は中夜礼讃の「至心に懺悔す」「至心に勧請す」等の頭句に始まる内容で、五悔が順々にすべて説かれている(浄全四・三六四下〜五下/正蔵四七・四四二下〜三上)。すなわち、この身を受けるまで積み重ねてきた十悪五逆の業を懺悔し、輪廻から抜け出るために仏を勧請し、あらゆる善根功徳を随喜し、極楽浄土に往生するためにその善根を回向して、往生して仏に見えて六神通を得て、衆生教化のために娑婆世界に還ることを発願するという。③広懺悔は六時礼讃の後に説かれる「敬って白す」以下の内容で、十方の諸仏に加えて、十二部(分)経・諸菩薩・諸天人などあらゆる衆生に対して、過去から現在にいたるまでに数え切れないほどの罪を犯してきたことを、隠すことなくすべて懺悔告白し、作罪の中止を願って、阿弥陀仏へ帰依するものである(浄全四・三七四下〜五上/正蔵四七・四四七上~中)。広懺悔が説かれる直前に、上品懺悔・中品懺悔・下品懺悔という三品の懺悔が説かれ、「上品懺悔とは身の毛孔の中より血流れ、眼の中より血出る者を上品懺悔と名づく。中品懺悔とは、遍身に熱き汗、毛孔より出で、眼の中より血流るる者を中品懺悔と名づく。下品懺悔とは、遍身徹して熱く、眼の中より涙出ずる者を下品懺悔と名づく」(浄全四・三七四上~下/正蔵四七・四四七上)等と、浄土に往生するためには毛穴や眼からの流血・流涙を伴うような激しい懺悔が必要であることを力説している。ただし、続けて「流涙・流血をよくせずといえども、但だよく真心徹到すれば、即ち上と同じ」(前同)とあり、流涙・流血がない場合でも、真剣に心を尽くして懺悔すれば同様に滅罪できると述べている。また、良忠は『往生礼讃私記』に「要懺を始と為し、略懺を中と為し、広懺を下と為す。此の三懺悔は心に任せ、応に六時の礼に用ゆべし」(浄全四・三八九上)と、三懺悔の用い方について述べている。
【参考】福𠩤隆善「善導大師の懺悔思想」(『浄土宗学研究』一二、一九七九)
【執筆者:工藤量導】