五悔
提供: 新纂浄土宗大辞典
ごげ/五悔
一
罪過を滅するために修められる五種の行法(懺悔、勧請、随喜、回向、発願)のことで、大乗の諸経論において説かれている。なお、発願を除いた四つのことを四悔という。智顗は『摩訶止観』七下に通仏教的な五悔を説き(正蔵四六・九八上)、『法華三昧懺儀』第八懺悔法では浄土教的な五悔を説いている(正蔵四六・九五二上)。善導も『往生礼讃』の中夜礼讃においてこの五悔を説いている。なお、懺悔を除いた他の四つもまとめて「悔」とするのは、これらがすべて罪過を滅する功用があるからである。宗暁は『四明尊者教行録』二において、「悉く悔と称する所以は、蓋し皆能く罪を滅するが故なり。勧請は則ち波旬の仏入滅を請う罪を滅し、随喜は則ち他の修善を嫉む愆を滅し、回向は則ち倒に三界を求める心を滅し、発願は則ち修行退志の過を滅す」(正蔵四六・八六九中)と説いている。
【参考】福𠩤隆善「五悔について」(印仏研究二八—八、一九八〇)
【執筆者:齊藤隆信】
二
『往生礼讃』の中夜礼讃末尾に説かれる、浄土往生のための至心懺悔・至心勧請・至心随喜・至心回向・至心発願という五種の偈文(浄全四・三六四下)。懺悔とは、これまでの罪業を悔い改めることで未来世の苦果を滅除すること。勧請とは、諸仏の住世および説法を請い、衆生済度を願うこと。随喜とは、自身を苦しめてきた嫉妬心などから離れ、自他の善根を心から喜び称讃すること。回向とは、あらゆる善行を修めて、その功徳を浄土往生のために振り向けること。発願とは、浄土に往生して阿弥陀仏に拝謁したのち、迷いの世界に戻って衆生を済度したいと願うこと。これらの前三は『国清百録』一「敬礼法」(正蔵四六・七九四下~五上)などの五悔と近似しているが、善導にとってはこれらも往生のための懺悔法であり、さらに後二では浄土往生を願うための回向、そして往生後に諸々の衆生を救いたいという発願を設定することで、往生を特化させた善導独特の懺悔法となっている。
【所収】『往生礼讃』
【参考】福𠩤隆善「善導大師の五悔思想」(『仏教論叢』二四、一九八〇)
【執筆者:石上壽應】