釈浄土群疑論
提供: 新纂浄土宗大辞典
しゃくじょうどぐんぎろん/釈浄土群疑論
七巻。『群疑論』『決疑論』ともいう。懐感撰。長安千福寺に住し、法相唯識の学僧であった懐感が、善導の本願念仏の教えに帰依して実践体得した自らの体験をもとに、当時流布していた摂論宗や三階教、玄奘請来の唯識学に関連するもの、あるいは念仏信仰自体における内部の疑問など、多くの問題を取り上げ、一二科一一六章に亘ってその疑問を決択した書。孟銑の序文によると懐感は本書の完成を見ずに没したため、同門の懐惲が完成させた。本書の標目を一一六章とする見解は、道忠の『釈浄土群疑論探要記』に基づく。道忠以前には、『群疑論』の本文に沿って数え、本書の標目を一二三章とする見方もある。天平勝宝五年(七五三)には既に日本に請来されており、源信の『往生要集』にもしばしば引用される。法然は『往生要集詮要』(昭法全八)で専雑二修の得失を述べるに当たり、善導の『往生礼讃』前序の文と共に本書巻四の、「善導禅師諸の衆生を勧めて西方浄土の業を修すれば、四修墜ることなく、三業雑ることなし」(浄全一〇・四九下/正蔵四七・五〇下)という文を引いて善導の説を助証している。また『無量寿経釈』(昭法全七四)および『選択集』三(聖典三・一二二/昭法全三二一)では本書巻七の「大念とは大声に仏を称するなり、小念とは小声に仏を称するなり」(浄全六・一〇六上/正蔵四七・七六下)という一文、『法然上人御説法事』には本書巻四の兜率と西方との十五同の説に注目するなど、広く引用されている。法然が本書に注目したのは、源信の『往生要集』に導かれて善導説の助証として用いたことによる。しかし、『選択集』一六の「師資の釈その相違甚だ多し」(聖典三・一八六/昭法全三四八)というように、浄土宗義の究極の点では明確に区別される。
【所収】浄全六、正蔵四七
【参考】金子寛哉『「釈浄土群疑論」の研究』(大正大学出版会、二〇〇六)
【執筆者:金子寛哉】