懺悔偈
提供: 新纂浄土宗大辞典
さんげげ/懺悔偈
一
前世から積み重ねた一切の罪を仏前に懺悔するために唱える偈文。「我昔所造諸悪業 皆由無始貪瞋痴 従身語意之所生 一切我今皆懺悔」。『四十華厳』(正蔵一〇・八四七上)に出る。日常勤行式はじめ通仏教的に使われる偈文であるが、浄土教の祖師としては王日休『龍舒浄土文』一二(浄全六・九一五上/正蔵四七・二八八上)に取り上げられ、『授菩薩戒儀則』(黒谷古本)の第四懺悔にこの文が出る(聖典五・四二九/四七八)。私が昔より作りきたった悪業は、遠い過去から離れない貪瞋痴によるものであり、身と口と心から出たものである。それら一切の罪を今ここに懺悔す、との意。『諸回向宝鑑』(二・二八ウ)には「懺悔回向文」とあり、およそ大正時代までは偈題を「略懺悔」と称した。「懺悔偈」のあとは必ず十念を唱えて深揖の下品礼をする。
【執筆者:巖谷勝正】
二
浄土教的な意味合いの強い法要で懺悔するとき、特に懺悔会の「懺悔文」として、また要偈道場の第二懺悔三帰(『吉水瀉瓶訣』〔『伝灯輯要』八三四〕)で用いる。「無始已来無量罪 今世所犯極重罪 日日夜夜所作罪 念念歩歩所起罪 念仏威力皆消滅 命終決定生極楽」。明秀の『愚要鈔』上(正蔵八三・五四〇中)に、最澄の「日所作文」からの引用として載せる。また『渓嵐拾葉集』一二(正蔵七六・八七四上)の「源信僧都毎日懺悔頌」に一部が出る。はるか前世のかなたから作れる罪、今の世で犯す重い罪、毎日毎日作る罪、一念一念に為す罪すべてを念仏の力で滅して、命終には必ずや極楽へ往生せん、との意。『浄土苾蒭宝庫』(下・八オ)に「懺悔文」と題し、『法要集』(昭和一四年版)では一の代用偈文とした。一が通仏教的に各宗合同の法要でも読まれるのに対し、念仏滅罪の文として採用されている。
【参照項目】➡懺悔会
【執筆者:巖谷勝正】