王日休
提供: 新纂浄土宗大辞典
おうにっきゅう/王日休
崇寧四年(一一〇五)—乾道九年(一一七三)正月一一日。字は虚中、龍舒居士と号した。宋代の居士で浄土教者。廬州龍舒(安徽省舒城)に生まれる。高宗の治世に国学進士に推挙された。その学識は深く、『春秋』『易経』「刑法」「地誌」関係の著書として『春秋孫復解弁失』『春秋公羊弁失』『春秋左氏弁失』『春秋穀梁弁失』『春秋名義』各一巻、『龍舒易解』一巻、『養賢録』三二巻、『九丘総要』三四〇巻があり、さらに『金剛経』注釈書として『金剛経解』四二巻があるなど、その著述は大部に及ぶ。交遊関係も広範にわたり、官吏仲間や宰相ばかりでなく、看話禅の大成者として知られる大慧宗杲やその門人達との関係も深かった。しかし晩年の王は、官職を捨てて浄土教に帰し、その布教に尽力しつつ、困窮者などへの救済活動(賑済)も実践していた。紹興三二年(一一六二)、『無量寿経』の異訳四本を校合した『大阿弥陀経』二巻を編集し、同年末頃、仏教の民衆化・活性化を旗印に、あらゆる階層に浄土教を浸透させるため、経論や諸伝記から広く浄土教の要文を集めて『龍舒浄土文』一〇巻を撰述し、その流布につとめた。その後乾道九年六九歳、廬陵において阿弥陀仏の来迎引接を得て往生を遂げた。
【参考】林田康順「王日休『龍舒浄土文』の研究(一)—王日休の生涯考—」(印仏研究四一—一、一九九二)
【参照項目】➡龍舒浄土文
【執筆者:林田康順】