因果応報
提供: 新纂浄土宗大辞典
いんがおうほう/因果応報
すべてのものは原因にしたがってそれに相応しい結果が必ずあるという法則。『リグ・ヴェーダ』の一〇章から問い始められた「真に世界を司るもの」という疑問は、ブラフマナ文献で「ブラフマン(梵)」を見出し、さらに紀元前六世紀頃から成立する『ウパニシャッド』は、われわれに内在する自我意識である「アートマン(我)」とブラフマンを結びつけ、「梵我一如」とした。この哲学的思弁は死後の世界観に変化をもたらし、永遠不滅なるアートマンという形而上学的な「我」を想定するとともに、輪廻の思想を確立した。さらに『ウパニシャッド』ではこの「輪廻」を支配する原因として「業」(行い)が見出され、自分の業を原因として自分がその報を得る「自業自得」が説かれた。そして、善い行いには楽なる結果がある「善因楽果」、悪い行いには苦なる結果がある「悪因苦果」という倫理観が定着した。反バラモン思想として誕生した仏教もインド文化のなかで時代とともにこの輪廻説を取り入れ、どのような行いを原因としてどのような報があるかを具体的に述べた「業分別経」類が現れる。また、仏陀の前世で行われた善行を具体的に示す「ジャータカ」や「アヴァダーナ」文献は、未来に仏陀となる果報を得るための具体的な模範となり、「誓願」や「授記」の思想を生み、阿弥陀仏の本願につながっていく。
【参照項目】➡因果
【執筆者:吹田隆道】