凡夫
提供: 新纂浄土宗大辞典
ぼんぶ/凡夫
仏教の理解や実践に乏しい、凡庸で愚かな者のこと。聖人に対する語。原語はⓈpṛthag-janaとされ、異生と訳す。凡夫の位置づけには諸説あるが、有部では聖者位とされる見道以前の三賢位を外凡、四善根位を内凡とし、大乗では初地以前の階位のうち十信位を外凡、三賢位(十住・十行・十回向)を内凡とする。凡夫観は、中国仏教では『観経』九品説の注釈などにみることができ、浄影寺慧遠は下品位を「大乗始学人」とするなど、浄土教における凡夫の存在を特別視することなく、あくまで仏道修道上に位置する衆生(外凡位)ととらえた。それに対して、隋代以後に流行した末法思想の影響を受けた道綽は、当今における凡夫の能力の低さを強調して、浄土教こそが時代と機根の合致した教え(時機相応)であるとの主張をなした。善導は『観経疏』に「罪悪生死の凡夫」「信外の軽毛」などと述べ、凡夫は仏道修道上における解脱とはまったく無縁の存在であるとの解釈をほどこし、それゆえに阿弥陀仏の本願による浄土法門の必要性を説いた。善導の独自な凡夫観は九品説や二種深信(信機・信法)などの各教説に如実にあらわれており、その立場は法然へと正しく継承されてゆく。
【参考】髙橋弘次「法然浄土教の人間観」(『改版増補・法然浄土教の諸問題』山喜房仏書林、一九九四)、深貝慈孝「善導における発願と誓願」(『中国浄土教と浄土宗学の研究』思文閣出版、二〇〇二)
【参照項目】➡罪悪生死の凡夫、遇悪の凡夫、信外軽毛の凡夫、善性凡夫・悪性凡夫、乱想の凡夫、内凡・外凡
【執筆者:工藤量導】