乱想の凡夫
提供: 新纂浄土宗大辞典
らんそうのぼんぶ/乱想の凡夫
心が常に散乱して定まることのできない凡夫のこと。善導は『観経疏』定善義において「衆生は散動にして、識、猿猴よりはなはだしく、心、六塵に徧して、しばらくも息むに由し無し」(聖典二・二四〇/浄全二・三四下)とする。また『徹選択集』上には法然の言葉として「また凡夫の心は物に随って移り易きこと譬えば猿猴のごとし」(聖典五・二八四/浄全七・九五上)と示している。法然は『念仏往生要義抄』において、善導の釈をもって、「一切仏土みな厳浄なれども、凡夫の乱想恐らくは生じ難しといえり。この文の意は一切の仏土は妙なれども乱想の凡夫は生まるる事なしと釈したまうなり」(聖典四・三二五/昭法全六八四)と述べ、極楽浄土以外の諸仏の浄土に乱想の凡夫は往生できないことを明らかにする。また、『顕真法印との問答』では「善導和尚の御釈をもて三部経を拝見するに仏の本願力を強縁として、乱想の凡夫報仏の浄土に生ず」(昭法全七一七)とし、乱想の凡夫であっても阿弥陀仏の他力にすがって念仏を行ずれば、浄土往生が可能であることを示している。
【参照項目】➡乱想往生
【執筆者:瀧沢行彦】