金剛峯寺
提供: 新纂浄土宗大辞典
こんごうぶじ/金剛峯寺
和歌山県伊都郡高野町高野山。高野山。古義真言宗(高野山真言宗)。空海により弘仁七年(八一六)に建立された。空海没後、真然により根本大塔などの伽藍が整備された。延喜年間(九〇一—九二三)の東寺との確執による無空律師と一山僧徒の離山、正暦五年(九九四)の落雷による大火などが原因で衰退期を迎えるものの、長和五年(一〇一六)頃より定慧によって再興され、白河・鳥羽上皇や藤原道長をはじめ貴顕の信仰を集めた。一二世紀初頭には覚鑁が入山、鳥羽院からの帰依を背景に、自ら建立した大伝法院座主職と共に金剛峯寺座主を兼任するが追放されて根来山に退き、新義真言宗の礎を築くこととなる。中世には弘法大師信仰を背景に霊場として広範な信仰を集め、織豊期には為政者の迫害を受けるものの、江戸時代に徳川家の菩提所と定められ、諸大名をはじめ多くの有力者の帰依を受けた。現在では真言密教の根本道場である壇上伽藍、子院一一七箇院が並ぶ十谷、空海入定の地にして「日本総菩提所」と呼ばれる奥の院から構成されている。
【参照項目】➡高野山
【執筆者:冨樫進】