仏教において広く実践され、森羅万象のありようや自己の存在をある哲理に即して見極めたり、仏や浄土のありさまをありありと目の前に想い描いたりすることで悟りの境地に至ろうとするもろもろの修行のこと。またその修行法。観・観念・観想・観察といった類似する用語の総称として扱われており、『観経』に説かれる色相観もそのなかに含まれるが、法然は「近来ちかごろの行人、観法をなすことなかれ」(聖典六・二八一/昭法全四九四)と諭し、仏像や極楽の荘厳を観想することの難しさを指摘して念仏往生を勧めた。
【参照項目】➡観、観察、止観
【執筆者:袖山榮輝】