観徹
提供: 新纂浄土宗大辞典
かんてつ/観徹
明暦三年(一六五七)—享保一六年(一七三一)一二月一八日。円蓮社義誉浄覚真阿。鎌倉光明寺五九世。江戸中期の宗学者。京都に生まれ、幼くして観禅について得度、一五歳で関東に遊学し、唯識・俱舎の性相に精通した。のち雲臥の招きにより小金東漸寺の学頭となる。正徳二年(一七一二)江戸崎大念寺一六世に住し、享保六年(一七二一)三月、瓜連常福寺三四世に転じてさかんに菩薩戒を弘め、同一一年三月鎌倉光明寺五九世に転住した。盛年の頃より日課一万遍を怠ることなく、『阿弥陀経』一〇万巻の読誦を誓い、一二年目にして成就、それ以降日課念仏を増やし、三万遍とした。享保四年(一七一九)春にはさらに六万遍に増進した。日課念仏の外に、七日七夜の別時念仏を七九度も修し、同一五年九月六日の夜には夢定中に弥陀の尊影を拝している。著書も多く、『浄土三部経合讃』七巻、『智光清海二曼荼羅合讃』二巻、『総五重法式私記』『浄宗円頓菩薩戒誘蒙』『五重口決自門勧策』『浄宗護国篇』各一巻がある。『浄土三部経合讃』は浄土宗における「浄土三部経」理解の基準を定めた書であり、長く後学の指針として用いられた。世寿七五歳。
【参考】『現証往生伝』上(笠原一男編『近世往生伝集成』一、山川出版社、一九七八)、『略伝集』(浄全一八)
【参照項目】➡浄土三部経合讃、総五重法式私記、浄宗円頓菩薩戒誘蒙、浄宗護国篇、清海曼荼羅合讃、智光曼荼羅合讃
【執筆者:原口弘之】