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奥院

提供: 新纂浄土宗大辞典

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おくのいん/奥院

寺院境内本堂より奥、あるいは高い場所などにあって、秘仏開山祖師などの像を安置する所をいう。高野山金剛峯寺では、狭義には弘法大師廟、広義には一の橋から廟までの墓と御堂を含む地域を指し、京都清水寺では、本堂の奉祀形式や建築様式を模倣した奥の千手堂を指す。また、清水寺開創に関わる延鎮・行叡の霊場で二人の像を安置する山科の牛尾山法厳寺ぎゅうびさんほうごんじ清水寺奥院と称される。浄土宗では、當麻寺往生院が元知恩院にあった御影を安置しているので知恩院奥院といい、また、當麻寺一山の奥に位置するので奥院ともいわれる。江戸時代には、知恩院勢至堂御廟増上寺の護国殿(黒本尊)も奥院と呼ばれた。


【資料】『都名所図会』三(『新修京都叢書』六、臨川書店、一九六七)、『当麻奥院略縁起』、『円光大師御遺跡廿五箇所案内記』、『檀林巡路記』


【参考】横山正幸『ガイドブック清水寺』(法蔵館、一九九六)、山本博子「法然上人霊跡第九番當麻寺奥院について」(印仏研究四五—一、一九九七)


【参照項目】➡奥院


【執筆者:山本博子】


奈良県葛󠄂城市當麻。奈良教区№二一二。二上山東麓の當麻寺山内にあり、昔、往生院といった。法然上人二十五霊場の第九番札所。知恩院一二世誓阿普観が南北朝動乱の京都の地を避け、応安二年(一三六九)春、後光厳天皇の勅許を得て法然開眼の木像御影知恩院から遷座し、當麻寺寺域西方の高台に開創した寺。その後、知恩院から入阿隆阿空禅ら歴世があいついで退隠し、応永一四年(一四〇七)「知恩院と當麻往生院との契約状之事」(浄土宗宝指定文書)が取り交わされ、大和国内浄土宗第一席の寺格とされている。なお知恩院から遷移された法然御影坐像(国重要文化財)は鎌倉時代肖像彫刻中の傑作である。また奥院蔵の『四十八巻伝』(国重要文化財)は知恩院本の副本で絵は土佐吉光、詞書は伏見・後伏見・後二条三帝の宸翰と公卿らの染筆のもの。『選択集』(国重要文化財・浄土宗宝)は奥書に「元久元年十一月廿八日書写了」とある稀覯書きこうしょ。その他松蔭硯まつかげのすずり・瑠璃の舎利壺・持蓮華二十五菩薩来迎像・押出銅造三尊仏像(国重要文化財)・十界図屛風(同)・俱利伽羅竜蒔絵経箱くりからりゅうまきえきょうばこ(国宝)・当麻曼陀羅延宝本などがある。本堂、大方丈鐘楼門(いずれも国重要文化財)のほか、方丈庭園「二河白道の庭」や、牡丹で有名な浄土庭園がある。【図版】巻末付録


【参照項目】➡当麻曼陀羅当麻曼陀羅縁起二上山練供養迎講


【執筆者:川中光教】