厭離穢土欣求浄土
提供: 新纂浄土宗大辞典
えんりえどごんぐじょうど/厭離穢土欣求浄土
現実の世の中は、穢れた世界であるからこの世界を厭い離れ、次生において清浄な仏の国土に生まれることを願い求めること。略して厭穢欣浄、厭欣という。浄土教の特質である、来世には西方極楽浄土に生まれたいと願う信仰の基調をなす思想。浄影寺慧遠は、『無量寿経義疏』下と『観経義疏』の中で『無量寿経』と『観経』の経文にこの厭欣思想を汲みとっている。善導『観経疏』玄義分には「生死はなはだ厭い難く、仏法また欣い難し」(聖典二・一五九/浄全二・一上)といい、『般舟讃』に「厭えば則ち娑婆永く隔ち、忻べば則ち浄土常に居す」(浄全四・五四六下)とある。また『十疑論』に「決定して西方に生ぜんと欲せば、具さに二種の行あり。定めてかしこに生ずることを得。一に厭離行、二に欣願行なり」(浄全六・五七七上)とあり、中国の諸師にも表現に多少の相違はあるが類似の思想がみえる。しかし厭離穢土欣求浄土の語が術語化し、この思想が流布されるようになったのは源信の『往生要集』の影響である。源信は、『往生要集』大文第一を厭離穢土、第二を欣求浄土とし、この思想を浄土信仰の基本としている。この『往生要集』では、穢土の内容を地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天の六道と規定し、浄土には一〇種の楽のあることを明かし、浄土での十楽を願い、穢土を厭い離れることをすすめている。浄土宗では、厭欣の心を総安心とし、三心を別安心とする。なお「厭離穢土」を「おんりえど」と読む宗派もあり、浄土宗でも、ある時期には「おんりえど」と読み習わしたこともあったが、今は「えんりえど」に統一している。また、大樹寺一三世登誉天室は、桶狭間の戦いに際し、窮地に立った徳川家康に「厭離穢土欣求浄土」の教えを諭したとされ、家康は以後、戦国の世を穢土とし、平和な世を浄土として「厭離穢土欣求浄土」を旗印と定めたことは有名である。
【資料】『往生要集』上
【執筆者:和田典善】