蓮馨寺
提供: 新纂浄土宗大辞典
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れんけいじ/蓮馨寺
一
埼玉県川越市連雀町。孤峯山宝池院。埼玉教区№二九。関東十八檀林の一。城主大道寺政繁の母堂、蓮馨大姉を開基(天文一八年〔一五四九〕)、小田原より招請の甥の存貞を開山とする。存貞はのち増上寺一〇世となり、現在に伝わる浄土宗伝法を確立した。蓮馨寺在住時の存貞の弟子に存応がおり、後に増上寺一二世となり、徳川家康を檀越にする。他にも清巌(浄国寺開山)、幡随意(知恩寺法主)、牛秀(大善寺開山)、大超(霊山寺開山)など一代の名僧が列挙される。三世廓無のとき、太閤秀吉の朱印状を兼帯する見立寺と共に拝領、翌年家康より二〇石の朱印を賜る。境内の諸社、学寮(最大二〇)は桂昌院の寄進という。明治期より庶民救済で名高い存応の弟子吞龍を祀っている。本尊阿弥陀三尊は鎌倉期、覚慶作。総本山知恩院集会堂の阿弥陀三尊は当山九世、知恩院三七世知鑑の奉献。
【資料】『川越蓮馨寺志』【図版】巻末付録
【執筆者:粂原恒久】
二
静岡県三島市広小路町。君沢山。静岡教区№二六。知恩院末。開山は明誉。当地に蓮沼があったことから蓮馨寺と名付けられた。華厳宗であった当寺を真言宗に改宗。弘安年間(一二七八—一二八八)には浄土宗となり、正応二年(一二八九)創建としている。元禄年間(一六八八—一七〇四)の大火や安政元年(一八五四)の震災にあうもその都度再建。境内には日限地蔵尊が安置され、松尾芭蕉の塚碑がある。その他に聖徳太子堂がある。伊豆八十八ヶ所霊場の一九番。
【資料】『浄土宗寺院由緒書』上(『増上寺史料集』五)
【参考】『三島市誌』下(三島市、一九五九)、『伊豆史談』(伊豆史談会、一九三七)
【執筆者:瀧沢行彦】