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宮下舜達

提供: 新纂浄土宗大辞典

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みやしたしゅんたつ/宮下舜達

弘化四年(一八四七)三月一二日—昭和一五年(一九四〇)六月二四日。覚蓮社正誉順阿法雲大本山光明寺一〇五世。信濃国更級郡共和村(長野市)に宮下五郎兵衛の三男として誕生、安政元年(一八五四)に塩崎村の天用寺において得度し名を舜達とした。同七年に増上寺に遊学し、元治元年(一八六四)同寺において宗戒両脈相承する。明治九年(一八七六)には青山善光寺に晋住、同一八年には鎌倉光明寺執事となる。翌年には当時の光明寺法主吉水玄信の命を受け横浜久保山に鎌倉光明寺出張所を創設し、同所主任を務めた。その後、同二五年に神奈川県三浦郡田越村(現・逗子市)養性院に転住する。さらにその後は、光明寺山内千手院(同二六年)、目黒長泉院(同三〇年)の住職となる。同三九年には光明寺出張所を吉上山慈眼院光明寺と改称し、開山第一世となった。その後も、大正一四年(一九二五)には小金東漸寺、昭和九年(一九三四)には東京芝仏心院住職も務めた。そして同一二年には鎌倉光明寺一〇五世の法灯を継ぎ、さらに宗門の一翼を担うこととなった。世寿九三歳。


【執筆者:江島尚俊】