仏身論
提供: 新纂浄土宗大辞典
ぶっしんろん/仏身論
仏身についての議論のこと。仏身とは仏陀の身体のことであり、仏の身体について、原始仏教から大乗仏教に至るまで、さまざまな考察が行われた。仏身論は真理(法)と仏の関係性、真理(法)信仰と人格(仏)崇拝の会通について論じられているものである。釈尊自身は、仏と成ったのも法がもとであり、肉体は生滅するが所説の真理(法)は不滅であるから、法を拠りどころとするように遺言した。釈尊の入滅後は、釈尊が説いた法を不滅の身である法身(Ⓢdharma-kāya)と呼び、現実の釈尊の肉体を生身・肉身・色身(Ⓢrūpa-kāya)と区別して呼ぶようになった。これを二身説という。大乗仏教が興起すると、法身は真理そのものであるとされ、永遠不滅な仏の本体であるという意味へと深まっていき、真身とも呼ばれるようになり、現実の存在である色身は真理から応現したすがたであるとされ、応身(あるいは化身、Ⓢnirmāṇa-kāya)とも呼ばれるようになった。また大乗の菩薩思想が発展するにつれ、菩薩が修行して成仏すると、どのような仏身を得るのかが問題となり、仏に成るための原因としての行を積み、その報いとしての完全な功徳を具えた仏身として報身(Ⓢsaṃbhoga-kāya)が立てられ、法身・報身・応身(化身)の三身説が成立した。その後、唯識説における転依や、転識得智の思想の影響、報身を見ることの可否などの解釈から、報身(受用身)を自受用身と他受用身に分ける四身説などへと発展していった。浄土教においては、中国・隋唐時代に阿弥陀仏は応身(化身)であるという説が主流となっていたが、道綽・善導らが阿弥陀仏は四十八願という因に酬いて、成仏という果を得た報身、酬因感果身であると反論して、西方極楽の阿弥陀仏は本願成就の仏であるという、浄土教の仏身論が明確になっていった。
【参考】長尾雅人「仏身論をめぐりて」(『中観と唯識』岩波書店、一九七八)、田村芳朗「法と仏の問題—仏身論を中心として」(『田村芳朗仏教学論集Ⅱ 日本仏教論』春秋社、一九九一)
【参照項目】➡三身
【執筆者:曽和義宏】