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幡随意

提供: 新纂浄土宗大辞典

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ばんずいい/幡随意

天文一一年(一五四二)一〇月一五日—元和元年(一六一五)一月五日。円蓮社智誉向阿白道。百万遍知恩寺三世。近世初期の学僧。檀林の下谷幡随院と館林善導寺開山徳川家康の命により日本ではじめてキリスト教徒の教化を行った僧として知られ、また竜女を教化し、王誉妙龍と諡したと伝えられる。俗姓上宮または山宮、川嶋ともいう。相模国藤沢郷の生まれ。一一歳で同国玉縄二伝寺の範誉義順について剃髪し、ついで鎌倉光明寺聖伝に師事して修学した。その後、川越蓮馨寺存貞に学び、不残存応・及把と共に叢林そうりんの四哲の一人に数えられた。慶長六年(一六〇一)秋、江戸城で行われた日蓮宗との法論では奉行的な役割を果たした。そして翌年には百万遍知恩寺三世に転進した。同一三年頃には江戸神田に新知恩寺を創建し、学山として発展させた。さらに、同一八年頃、家康の命をうけキリシタン改宗のため九州に赴き、大音寺白道寺を開いた。また彼は伝法相承次第を改め、五重伝目一三箇条、戒脈七箇条、および添口伝二箇条の制をまとめた。後世これを幡随意流伝法と称している。晩年は和歌山に万性寺を開いて隠棲した。


【資料】『幡随意上人行状』、『鎮流祖伝』六、『館林善導寺志』


【参照項目】➡幡随意流伝法


【執筆者:𠮷水成正】