乃至十念
提供: 新纂浄土宗大辞典
ないしじゅうねん/乃至十念
念仏を称えて往生を願う上で、その数を限定しないことを示す語。『無量寿経』上に説かれる念仏往生願の一句。法然は『選択集』三で、この「乃至十念」と『観念法門』(浄全四・二三三上/正蔵四七・二七上)や『往生礼讃』に説かれる「下至十声」(浄全四・三七六上/正蔵四七・四四七下)を同一の意であるとする。また念仏往生願の願成就文には「あらゆる衆生、その名号を聞きて、信心歓喜して、乃至一念、至心に回向して、かの国に生ぜんと願ずれば、すなわち往生を得て、不退転に住す」(聖典一・二四九/浄全一・一九)とあり、ここでは一念によって往生が叶うと説かれている。法然は、念仏往生願の「乃至十念」について『選択集』三において「乃至と下至とその意これ一なり。『経』に乃至と云えるは、多より少に向かうの言なり。多とは上一形を尽す。少とは下十声一声等に至るなり。『釈』に下至と云えるは、下とは上に対するの言なり。下とは下十声一声等に至るなり。上とは上一形を尽す」(聖典三・一二二/昭法全三二一)と理解しているように、乃至十念は一生涯の念仏から十声一声の念仏による往生を意味している。そして、念仏者はこのことに思いを致し「一念までも定めて往生すと思いて退転なく命終らんまで」(『浄土宗略抄』聖典四・三五八/昭法全五九六)念仏を称え続けるべきであると説かれる。
【資料】『浄土宗略抄』
【参照項目】➡上尽一形下至十声一声、十念二、十念異解、念声是一
【執筆者:石田一裕】