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大超寺

提供: 新纂浄土宗大辞典

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だいちょうじ/大超寺

京都市左京区岩倉花園町。安穏山両就院。京都教区№二一三。もと泰堂片原町にあった。天正一九年(一五九一)、同町浄福寺三世勝誉泰童の開創、慶長二年(一五九七)には本堂を再建している。本尊阿弥陀如来立像は、源信が伊勢太神宮に参詣した際に、化人と共に作ったとの伝承により神明の御作とされ、毎年九月一五日の開帳日には多くの参詣者を集めていた。京都十二薬師霊場の第八番札所でもある。


【資料】『浄家寺鑑』三、『浄土宗寺院由緒書』上(『増上寺史料集』五)、『岩付浄国寺志』(浄全二〇)


【執筆者:加藤弘孝】


愛媛県宇和島市大超寺奥。霊亀山無量寿院。愛媛教区№四五。伊予国触頭ふれがしらであった。天和元年(一六八一)刊『宇和旧記』には土佐殿御菩提所に住していた真蓮社天誉素格が、隠居寺として慶長元年(一五九六)に開山したとある。はじめは笹町にあったが、後に現在の地に移転したという。正徳二年(一七一二)作の雲版が伝わり、ここには山号を「法泉山」と記している。向阿筆『授手印』(宗宝)が所蔵されている。


【資料】『宇和旧記』(愛媛青年処女会再刊、一九二八)


【参考】『えひめ浄土宗愛媛教区寺院案内』(浄土宗愛媛教区教化団、二〇〇三)、宇高良哲「浄土宗の触頭制度について」(『法然浄土教の綜合的研究』山喜房仏書林、一九八四)


【執筆者:郡嶋昭示】