インド仏教
提供: 新纂浄土宗大辞典
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インドぶっきょう/インド仏教
インド仏教の歴史は、おおよそ初期・中期・後期の三段階に分けて述べることができる。
[初期仏教]
初期仏教は釈尊在世当時からマウリヤ王朝のアショーカ王の時代までの仏教である。初期仏教の中心は、歴史上の人物としての釈尊の教えであり、また現在伝わっている阿含経典の核となるような釈尊の言葉が、口伝によって受け継がれていたと考えられる時代である。さらに経典の他に教団や律蔵など、後世の仏教教団に大きな影響を与える要素が確立され、アショーカ王の治世の下、仏教がインド各地に広まった時代である。
[中期仏教]
中期仏教はアショーカ王の滅後から、グプタ王朝が成立する四世紀始め頃までの仏教である。中期仏教の初め頃には、インド各地に広まった教団が、釈尊の言葉に対する解釈の相違などから分裂し、部派仏教が誕生した。部派仏教では、教団の経済的な安定の下に、非常に煩瑣な議論が重ねられ、種々の論書が作成された。部派仏教の三蔵が体系的に整えられるようになったのは、この時期からである。また紀元前後には大乗仏教が発生し、多数の初期大乗経典が作成された。浄土教の誕生もこの時期である。さらに大乗仏教には、龍樹が現れ、空の思想を説き示した。この空の思想は、中観思想としてその後の大乗仏教に多大な影響を与えることとなる。
[後期仏教]
後期仏教はグプタ朝の成立からインド仏教が滅亡する一三世紀初頭までの仏教である。強大な勢力を誇る部派仏教と、徐々に教団の体を整えた大乗仏教が両立する時代であり、また後半は密教が絶大な力を誇るようになる時代である。部派仏教は思想と実践の体系をしっかりと固め、伝統的な教団として強大な力を持っていた。一方大乗仏教は、世親によって唯識瑜伽行派の理論が大成され、これが中観思想とともに、大乗仏教の中心教理となっていく。また、この頃には多くの大乗経典が完成しており、大乗仏教徒はそのような経典や、龍樹・世親などの思想に基づいて大乗の教理体系を構築していった。さらに後期仏教は密教が主体となる仏教でもある。初期密教は、四~五世紀頃に誕生し、現世利益や呪術を取り入れた仏教といえるが、七世紀頃には中観や唯識といった大乗教理学を背景として、体系的な密教が完成した。このような密教が、徐々にヒンドゥー教と融合し、後期密教が誕生する。以上のようなインド仏教は、一二〇三年にヴィクラマシーラ寺がイスラム教徒によって破壊されたことで終焉を迎える。
【参考】三枝充悳「インド仏教史の時代区分」(印仏研究三五—一、一九八六)
【執筆者:石田一裕】