来迎引接願
提供: 新纂浄土宗大辞典
2018年3月30日 (金) 06:35時点における192.168.11.48 (トーク)による版
2018年3月30日 (金) 06:35時点における192.168.11.48 (トーク)による版
らいこういんじょうがん/来迎引接願
『無量寿経』に説く、阿弥陀仏の四十八願中第十九願の願名。道光『無量寿経鈔』による。義寂は「摂取修徳欲生願」(『無量寿経述義記』中、恵谷隆戒『浄土教の新研究』四二二)、智光と良源は「行者命終現前導生願」(『無量寿経論釈』三、恵谷隆戒『同』四七六/『九品往生義』浄全一五・一八)と呼ぶ。自らが成仏したのち、あらゆる世界の衆生が菩提心を発し功徳を修して至心に往生を願うならば、その人の命終のときに聖衆と共に来迎するようにしたい、という願。『大阿弥陀経』の第六願、第七願、『平等覚経』、梵本、チベット訳のそれぞれ第十八願、『無量寿如来会』の第十九願、『無量寿荘厳経』の第十三願後半が対応する。良忠は十九願について「全く生因に非ず」「来迎引接を以て願体とす」(『決疑鈔』二、浄全七・二三二上)として往生ではなく来迎を誓った願であるとするが、これは聖光、道光も同様である。また聖冏は願文の「修諸功徳」について「生因は第十八願なり。来迎は生因の行人に被らしむるなり。然りと雖も、修諸功徳の機を捨つべからざるが故に、因言には修諸功徳と云へども、而れども、意は但だ念仏の来迎なり」(『釈浄土二蔵義』二四、浄全一二・二七七上)とし、修諸功徳の機の者を捨てはしないが、しかしながら、願意は念仏の人を来迎することなのだという。
【資料】道光『無量寿経鈔』三、義山『無量寿経随聞講録』上之三
【参考】香川孝雄『無量寿経の諸本対照研究』(永田文昌堂、一九八四)
【執筆者:齊藤舜健】