頓漸二教判
提供: 新纂浄土宗大辞典
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とんぜんにきょうはん/頓漸二教判
善導が『観経疏』において提示している教判のこと。ただし善導は自ら「頓教一乗海」(聖典二・一六〇/浄全二・一上)や「頓教摂」(聖典二・一六六/浄全二・三下)と発言しつつも、何が頓教であり、また『観経』が何故に頓教であるのかということについては何も触れていない。だが『般舟讃』には「瓔珞経の中には漸教を説く。万劫の修功、不退を証す。観経弥陀経等の説は、すなわちこれ頓教菩薩蔵なり」(浄全四・五三〇上/正蔵四七・四四八下)とあり、ここから善導は頓漸二教の対比を大乗・小乗の対比として理解しているのではなく、大乗菩薩道において不退位を獲得するまでの道程に関して歴劫迂回の修行期間を必要とする教えを漸教として規定し、対して速やかなる大乗菩薩道の完遂の教えを頓教と見なしていることが分かる。つまり善導にとって『観経疏』玄義分の「十四行偈」でいう「横超断四流」(聖典二・一五九/浄全二・一上)や『般舟讃』でいう「横截業道入西方」(浄全四・五三九下/正蔵四七・四五二下)が頓教であり、本願による極楽世界への往生によって生死輪廻の世界を超出する法門を示唆しているのである。そして往生以後は、善導自身が「かの国に生じ已って、還って大悲を起し、生死に回入して衆生を教化する」(聖典二・二九九〜三〇〇/浄全二・六〇下)、あるいは「ただ一念を発して、苦を厭い諸仏の境界に生じ、速かに菩薩の大悲願行を満じ、還って生死に入って普く衆生を度せんと楽う」(聖典二・三〇七/浄全二・六四上)と説示しているように、速やかに大乗菩薩道を展開し、しかも生死輪廻の世界に立ち戻り菩薩行を実践することとなるのである。浄土教では極楽世界に往生した後に大乗菩薩道を進むことから、ある意味では漸教に相当するのではないのかという批判や疑問も想定される。あるいは凡夫の報土往生の可能性を拒絶する往生別時意説も、阿弥陀仏信仰を漸教と見なした批判であったとも考えられる。これら諸批判に対して、善導は阿弥陀仏の本願を根拠として対応し、罪悪生死の凡夫が阿弥陀仏の本願を根拠として極楽世界に即得往生し、得生以後は阿弥陀仏の威神力と授記のもと速やかに大乗菩薩道を進展させることを主張するために、教判において頓教を提示したものと考えられる。
【参照項目】➡頓漸二教
【執筆者:柴田泰山】