印壊文成
提供: 新纂浄土宗大辞典
2018年3月30日 (金) 06:19時点における192.168.11.48 (トーク)による版
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いんねもんじょう/印壊文成
曇無讖訳『大般涅槃経』二九や『大智度論』一二では、死からまた次の生へと相続する中で、中有(中陰)の存在の比喩として説明される。蠟印を泥に押し当てると、印は壊れても泥には文字や模様が現れるが、もとの蠟印は泥でもなく、泥も蠟印から生じたのでもない。そのように本有の五陰が変化して中有の五蘊になったのではなく、また中有の五蘊がおのずから生じたのでもなく、他所からきたわけでもない。泥の文字も中有の五蘊も、みな因縁によって現れるということで、すべては無我でありながらも輪廻は相続されていくのである。この比喩は曇鸞『略論安楽浄土義』、道綽『安楽集』、善導『観経疏』においても用いられている。ただしそれらにおいては輪廻の比喩としてではなく、穢土で往生行を修めた者が、その因行に報われて浄土に往生することの比喩として説かれている。
【執筆者:齊藤隆信】