「清浄光寺」の版間の差分
提供: 新纂浄土宗大辞典
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しょうじょうこうじ/清浄光寺
神奈川県藤沢市西富。藤沢山無量光院。時宗総本山。遊行寺また藤沢道場ともいう。正中二年(一三二五)遊行四代吞海が、実兄である相模国俣野荘地頭の俣野五郎景平(明阿弥陀仏)の援助を受け、廃寺であった極楽寺の跡地に、清浄光院と名づけて創建し止住した。吞海は嘉暦二年(一三二七)二月一八日入寂。これ以降、遊行上人を退くと、当寺に独住して藤沢上人と呼ばれるようになった。応永年間(一三九四—一四二八)に炎上したが復興。永正一〇年(一五一三)の北条早雲の乱にも罹災し、本尊は駿府長善寺に移された。江戸時代から明治時代にかけても、たびたび火災にあっている。現在の本堂は昭和一二年(一九三七)に落成。国宝『一遍聖絵』、国重要文化財『絹本著色後醍醐天皇像』、同『一向上人像』等多数所蔵。主な行事としては、春秋の「開山忌」、九月一五日の「薄念仏会」、一一月二七日の「遊行の一ツ火」がある。
【参考】『清浄光寺史』(清浄光寺史編集委員会、二〇〇七)、橘俊道『遊行寺』(藤沢文庫、名著出版、一九七八)
【執筆者:長島尚道】