「尼入道」の版間の差分
提供: 新纂浄土宗大辞典
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2018年3月30日 (金) 06:17時点における最新版
あまにゅうどう/尼入道
法然『一枚起請文』において、「尼入道の無智の輩に同じくして、智者の振る舞いをせずして、ただ一向に念仏すべし」(聖典四・二九九/昭法全四一六)として現れることで知られる用語。ここでの「入道」とは正式な仏教の勉学・修行を経ずに、在家のまま形ばかりの僧侶となった者のことを指す。ただし、「尼入道」全体では「尼」と「入道」の関係をどのように理解するかで、二つの解釈がなされる。一つは「尼の入道」、すなわち「女性の入道」という理解。もう一つは「尼」自体に女性の入道の意味があるので、「尼と入道」=「女性の入道と男性の入道」という解釈である。現時点で判明している室町期までの用例は、法然『一枚起請文』、慈円『愚管抄』、聖光『念仏名義集』(二例)、同『念仏三心要集』、同『念仏往生修行門』(『三田国文』五四に所収)、行観『浄土宗法門大図名目』、一海編『一遍上人語録』、光宗編『渓嵐拾葉集』(鎌倉後期)、『峰相記』(南北朝期)、蓮如『御文』、『蓮如上人御一代記聞書』(三例)、真慧『顕正流義鈔』(一四七二)(二例)などの十数例のみであって、江戸期を加えても、その数は多くない上に、用例の大半が二つの解釈のうちのいずれの意味で使用されているかを確定しがたいものばかりと言える。ただしその中で、聖光著作の用例は「尼と入道」である可能性が高い。なぜなら『念仏名義集』では「尼入道僧」と述べた後、それを「尼も入道も」と言い換えており(浄全一〇・三八二下~三上)、また『念仏三心要集』『念仏往生修行門』の用例においても、同様のことが言えるからである。また、義山・関通などの江戸期の鎮西義の学僧も、「尼と入道」で理解していたように読み取ることもできる。なお、尼入道は「尼入道の無智の輩」(『一枚起請文』)、「愚痴無智の尼入道によろこばれて」(『愚管抄』)などのように、しばしば愚痴・無智の者の代表として提示されたり、「田夫野人」(『一遍上人語録』『峰相記』)や「下﨟」(『浄土宗法門大図名目』)と並列して用いられたりする点に特色があると言える。また、「在家の尼入道」という表現も数例みられる(『顕正流義鈔』、義山『阿弥陀経随聞講録』など)。
【参考】善裕昭「尼入道の資料」(佛教大学人権問題研究会編『ひとのみち』二〇〇二年度版)、安達俊英「〈尼入道〉考」(『福𠩤隆善先生古稀記念論集 仏法僧論集』山喜房仏書林、二〇一三)
【執筆者:安達俊英】