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提供: 新纂浄土宗大辞典
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なかむらこうりゅう/中村康隆
明治三九年(一九〇六)四月二八日—平成二〇年(二〇〇八)五月八日。弌蓮社心誉念阿浄業。知恩院八六世、増上寺八五世。浄土宗名誉門主、知恩院名誉門跡、印度山日本寺竺主。静岡県清水の実相寺に中村弁康の長男として生まれ、大正六年(一九一七)師父について得度。同九年静岡中学在学中、祖母の伴で信州唐沢山の別時念仏会に参加した折、山崎弁栄と出会い信仰を抱く。同一三年宗教大学に進学、同一五年大正大学一期生として入学。在学中、真野正順、椎尾弁匡、土屋観道、友松円諦等に師事し、浄土宗学に留まらず、宗教・民俗・社会福祉等を学び、佐藤密雄、武田泰淳等と親交を深めた。昭和四年(一九二九)、研究科に進むとともに、増上寺において宗戒両脈相承。研修科修了後、副手を務めるかたわら芝中学等で教鞭をとり、同一三年より大正大学の講師となって、教授、学部長、学長等を務めた。その間、カウンセリング研究所を創設するなど、大学の発展に努めた。また、戦災により焼失した自坊の復興に尽力し、幼児教育にも力を入れ、清水こども園を開設した。これらの社会貢献により、同五三年勲三等瑞宝章を受章。同五七年増上寺八五世法主に晋董し、翌年より浄土宗勧学寮寮頭となり、平成五年(一九九三)浄土門主、知恩院門跡に晋董した。また、全日本仏教会会長、日中韓国際仏教交流協議会会長等、仏教界の要職を歴任した。同一九年の御忌日を一期として名誉職となり、自坊実相寺において念仏生活を送り、翌年五月遷化した。世寿一〇三歳。著書に『仏教民俗の領域』(国書刊行会、一九七八)、『宗教学小論集』(同、一九七八)、『望岳楼断想』(朝日印刷、一九八九)などがある。
【参考】中村康隆「わが青春の記」(『芝苑雑艸』増上寺出版室、一九八二)
【執筆者:中村康祐】