「立道」の版間の差分
提供: 新纂浄土宗大辞典
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2018年3月30日 (金) 06:35時点における最新版
りゅうどう/立道
宝暦五年(一七五五)—天保七年(一八三六)正月八日。心蓮社得誉尚阿慧玄。近世末期の学僧。称念の開山にかかる京都嵯峨正定院に住して著述や講義に専念した。京都の生まれ。俗姓は黒川氏。寺町聖光寺良瑞について出家し、寄寓していた学信に会い向学の志を抱く。安永元年(一七七二)江戸増上寺に学び、豊誉霊応から宗戒両脈をうける。また長泉院普寂に唯識や華厳、『起信論』等を学ぶ。修学後、河内池の島往生院に住したが、天明三年(一七八三)嵯峨正定院に移った。聞証や湛慧(信培)の学徳を慕い、祖釈や華厳、唯識などを四〇年に亘って講述した。その間真言宗の慈雲や真成から瑜伽などを学んだ。『選択集』に造詣が深く、先人未発の義をだしている。また二祖聖光の顕彰にもつとめた。詩歌をよくし、和歌を小沢蘆庵、詩を学信に学んだ。著書に『選択批判』『徹選択集試言』『鎮西宗要講録』『十八通玄譚』等、宗乗余乗にわたり二十数部ある。
【資料】『略伝集』(浄全一八)
【参考】石橋誡道『立道上人』(正定院、一九〇〇)
【執筆者:𠮷水成正】