「恵頓」の版間の差分
提供: 新纂浄土宗大辞典
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2018年3月30日 (金) 06:20時点における最新版
えとん/恵頓
一
—慶長一六年(一六一一)五月二〇日。先蓮社勧誉称阿。甲斐の人。鴻巣勝願寺清巌に師事し、岩槻浄国寺創建時には伴頭(学頭)として尽力。のち信濃国岩村田西念寺(長野県佐久市)で布教教化したことを契機に領主仙石氏の帰依を受け、歓喜院(長野県上田市、のち芳泉寺と改名)に第一世として住し、西念寺を兼務する。また、仙石氏の菩提寺として光岳寺(長野県小諸市)を創建した。
【資料】『岩付浄国寺志』(浄全二〇)、『総系譜』中(浄全一九)
【執筆者:大屋正順】
二
寛政元年(一七八九)—嘉永五年(一八五二)閏二月七日。字は無一、円蓮社融誉戒阿。三河国矢作(愛知県岡崎市)に豊田氏の子として生まれる。一一歳で大坂阿弥陀池和光寺(大阪市)弁誉について出家得度し、享和三年(一八〇三)江戸に移り、深川霊巌寺に掛錫して迎誉貞厳より宗戒両脈を相承する。その後、西へ赴き、経歴や法然院典寿から華厳を中心に教えを受け、法隆寺叡弁より沙弥戒を授かる。徳本との出会いを契機に、大和国高市郡称念寺(奈良県高市郡明日香村)や法然院で千日間別時を修し、松原西光寺義聞からは大乗円頓菩薩戒を受けた。三河国貞照院・京都北野成等庵・洛西泉谷西寿寺と歴住。
【資料】『略伝集』(浄全一八)
【執筆者:大屋正順】